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ト)アッシュ

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〈 1 〉


見張り小屋から何とか自室へと戻る事が出来たのは、既に日がかなり傾いている時間帯だった。

「ぃっ……たぁ」

容赦なく攻められた為か、腰が痛い。
途中、何度と無くその場にしゃがみ込みそうになる身体に叱咤したことか。

「ったく、アッシュめ…」
「…あの、雑兵がいかが致しましたか?」
「?!!」

突然部屋の角…光の届かない、暗闇の中かからかけられた声に、ビクリッと肩が跳ね上がった。
誰も居ないと思っていた為、気を抜いてはいたが…

「何度も言いましたでしょう。ディアモンド」

何で、クロードがこんな所に居るんだ。

「ココは、女王の私室です。何人たりとも、ワタクシの許可無く入室する事を禁じているはずです」
「それは、大変失礼致しました女王陛下」

ゆっくりと光の中へと出てきたクロードは、嫌味なほど恭しく一礼してから微笑んだ。

「しかし、恐れながら女王陛下。私は、女王陛下を昼間からお探ししておりまして」

部屋つきの侍女にそう話したところ、快くこの部屋へと迎えていただきましたが?
そう言って、ますます笑みを深めるクロード。
その目は笑っておらず、何処か暗い闇さえも見えるようで身震いした。

「所用で出ておりました」

知らず、目をそらしてしまう。

「…貴方様は、お分かりではいらっしゃらない」
「何を…」

言っているのだ?そう続くはずだった言葉は、クロードの表情に吸い込まれてしまった。
何で、そんな顔をするんだ…

「貴方様は特別な…そう、誰よりも特別な方だと言う事を、覚えておいていただかなくては、なりませんね」
「?」
「今日は、失礼致します」

恭しく一礼すると、クロードはそのまま部屋を出て行ってしまった。

「…何だったんだ」

あの時の、クロードの顔。
苦しそうな、悔しそうな…とても、恐ろしい表情。
色んな事が分からなかった。




〈 2 〉



結果から言うと、脱走後にワタシ付きの監視役の数が増えた。
以前にもまして、監視体制はかなり厳しくなったし、一人きりになる時間なんて物は無くなったに等しい。
最初のうちは男である事がバレてしまうのではないかと危惧もしたが、長年培ってきた立ち居振る舞いなどにより、その心配は無いと知る事になった。
しかし、あのクロードがこんなに無謀な手段に出てくるとは思わなかったから、少し意外だった。
執務でも顔を合わせる事が無く、ここ数日は少しだけ穏やかな日々が続いていた。


しかし、そんな日々はあっという間に終わりを告げた。



「……女王陛下との、婚姻…ですか」
「左様」

ジョーカ国からの使者だと名乗ったその老人は、重々しく頷いた。
現在、謁見の間にて直接この使者と名乗る男と話しているのは、ひとえにワタシ自身の問題が持ち上がったからに他ならなかった。

【結婚】

「クイーンハート国の現女王陛下であらせられます、リオネット様におかれましては今年で御年16才」
ご出生時よりのご婚約者さまであられた方は、10年以上も前にお亡くなりになられたとかで…
「現在までご婚約者様さえお決めになられていないと、風の噂でこの爺の耳に届きましたので…」

長々と恰幅の良い腹を揺さぶりながら話す使者。
つまりは、ジョーカ国の第三王子が18歳で、年齢がつりあう事。
隣国であるクイーンハート国の女王が、未だに独身である事。
婚姻関係を結んで両国の関係を良くしたいと、思っていること…
つまりは、完全なる政略結婚の押し売りに来たと言う事だった。

諸大臣は浮き足立っているのが目に見えて分かるような有様だったが、長老様方はかなり渋い顔をなさっていた。
ジョーカ国は、この国のすぐ隣にある大国であり、貿易や軍事などに優れている。
婚姻関係を結ぶ事により、援助などを受ける事が出来る可能性があるが、内部より国を乗っ取られる可能性さえある。

「この件につきましては、直ぐにご返答する事が出来かねますゆえ、使者殿には申し訳ないが当城へとしばし滞在されたく…」

とりあえずは…という事で外交官が使者の退出を促し、ワタシは急いで長老方と別室へ移動となった。
この別室で行なわれるのは、極僅かな人数だけでの会議…
諸所の部署の意見役となられた、往年の賢者の方々とワタシのみ。
つまりは、ワタシの本当の性別を知っている方々のみなのだ。

「女王陛下…」
「何も言われなくとも、分かっております。しかしながら、軽々しく結論を出す時ではありません」

着席する前から、この場には緊迫した空気が流れていた。
皆、思うことは同じなのだ。

「ついに、来ましたか…」

女王と言う立場に就いてから、覚悟を決めていたこと。
いつかは政略結婚という事にはなるとは思っていたが、思った以上の相手であり事によっては、我が国の進退さえも左右しかねない。

「今までも、似たような申し出は多くございましたが、今回は何分相手が悪すぎまする」
「返答次第では、戦を仕掛けてくるやもしれませぬし…」
「いっそうの事、このまま婚姻の申し出を引き受け、その第三王子とやらをこちらに取り込むと言うのは」
「いや、それではリスクが多すぎるであろう。しかも、その第三王子とやらの人物像ですら把握できてはおらぬと言うのに」

長老方とのやり取りを重ねては見たものの、結局のところ結論は深夜まで出る事はなかった。



< 3 >



数日間、会議は続けられていたが、未だに結果が出ないでいた。

「いや…」
「…やはり…」
「しかしながら……」

様々な喧騒が部屋を満たす。

「では…」

長老方の喧々囂々としたやり取りの中、何故だかその声が室内に響き渡った。

「なんじゃ」

最長老が、いぶかしげな顔をする。

「女王陛下と他国の人間が婚姻する事が問題なのでありましょう?」
「何を、分かりきった事を…」
「ならば、自国から選出なされば宜しいのではありませぬか?」

自国からの、女王の婚約者の選出。
その案は、確かに一番良い解決策ではある。

「しかしながら、女王陛下の婚姻相手を勤め上げれるような家柄の人間が居ますでしょうか…」
「そればかりではないぞ!女王陛下の御夫君となられるのだ。教養に長けておらねばなるまいて」
「ソレばかりでは、なんとも成りますまい。やはり、武にも秀で居られておりませんとな」

好き勝手な事を言い出す、長老方。

「いや…何より、女王陛下の御秘め事を知り得ても尚、問題の無い人物と言う事が一番じゃて」

最長老が、放つ一言がその場を静める。
そうだ。ワタシ自身のこの身の事を知り、その上で結婚する事が出来る有力貴族の優秀な人材。
そういった人物でなければ、周囲からもあの隣国の使者殿からも認められないであろう。

「その様に出来た人物…ワタクシは、知り得…!」

知り得ない…そう言いかけて、思い当たる人物が浮かんだ。

「…御祖父殿の代までは、大名門貴族の一員であらせられた」
「幼少期より、文武両道であると…」
「…政治手腕は確かなものだ」
「いや、しかし…」
「でもだな…」

長老方も、気がついたのか小声で話し合い始めている。
おのずと、最長老へと視線が集まりだす。

「…………クロード・ディアモンド」

ゆっくりとした、口調でその名が告げられる。

そうだ、クロードだ。

ディアモンド家は、クロードの先々代。クロードの祖父の代までは大名門貴族と言われる一員であった。
貴族階級の最上位である公爵家だったのだ。
それが何が原因かは分からないが、ワタシのお婆様の時…先々代のハートクイーン国女王によって大幅な爵位の降格を命じられたのだ。

クロード自身も、幼い頃から神童と歌われるほどの才能を、様々な分野で見出してきた。
馬術、弓術、剣術…そういった武術だけではなく、政治、経済、戦術…基本的な学問から、絵画や音楽なども完璧にこなして来ていた。

そして現在、宰相という立場に立っている。

長老方の要求していたものを、この男は全て持っているのだ。



< 4 >


「……誰か、クロード殿を呼んでくるのだ」

静かに告げられた最長老の声に、何故だかヒヤリと背筋に冷たいモノが降りた気がした。
ザワザワと胸がざわめいてゆく気がする。

嫌な感じしか、しない。
どうしたら良いのか、正常に頭が回らない。

そうしている間にも、周りの長老方は良い相手ではないか!何故、今まで気がつかなかったのだ…等々、様々な言葉を好き勝手言っている。
ここ数日間、この長老達のやり取りを聞いてて、ふと気になった事があった。

長老方の中に、やけにクロードを持ち上げて話す人物がいるのだ。

それは、あからさまでは無いものの、やんわりとさりげなくクロードの良さを主張しているように見えて、違和感を感じていたのだ。
己の利権を考えて、王族と血縁関係を作りたいと思うのは当然の事であるとワタシは考えている。
しかし、彼らは己の縁者ではなく、クロードを押しているように見えたのだ。
その様子に…見え隠れするクロードの影に、ワタシはこの数日間恐ろしさを感じてさえいた。

そのクロードが、やってくるのだ。

得もいえぬ不安感が徐々に広まり、大きくなっていく。
このまま、クロードがこの場に来てしまえば…きと、クロードがワタシの伴侶とされてしまうだろう。

それだけは、止めなければならない。

そんな使命感だけが思考を埋め尽くし、肝心の具体的な方法が思いつかない。
嫌な不安感だけが広がって、気がつけば時間だけが過ぎていた。



「失礼します」

いつの間にか、クロードが呼ばれて室内へと入ってきた。
来てしまった…
その絶望感だけが、広がっていく。

ワタシのこの嫌な予感が、思い違いであればよい…
ただの、気のせいであれば良い…

そう思って、長老方から何故呼ばれたのかの説明を受けているクロードを見つめた。
何事か囁きかけられ、頷き、そしてやや驚いた表情でゆっくりとこちらに視線を移す。

……笑った。

一瞬だけ、ほんの僅かな表情の変化。
それだけで、充分だった。

(クロードは、最初からこうなる事を知っていた?)

半ば疑問であった事が、確信へと変わっていく。
もしかしたら、この会議を始める前から長老方の何人かに手回しをしていたのではないか?
もしかしたら、この話し合い自体が彼の策略の一部だったのではないのか?
ワタシが取り留めの無い考えに陥っている間にも、話はどんどんと進んでいる様子だった。
そして、ゆっくりと何事か考えるようにした後、クロードは長老方に向かって大きく頷いた。

「女王陛下、クロード・ディアモンド殿の了承は、得られましてございます」

最長老の重々しい声。
ワタシが、頷けばクロードがワタシの伴侶となる。
他に、術はない。
本当に?本当に回避する方法は、無いのだろうか?
一瞬とも、永遠とも思える時間が過ぎる。

「女王陛下」

長老の声が聞こえる。
今のワタシには、頷く以外の選択肢は思いつかない。
覚悟を決めて、真っ直ぐに前を向く。
小さく息を吸い込み、口を開く。




伴侶にすると、言葉にするために。


< 5 >


口を開き、胸に空気を取り込む。
クロードを伴侶とすることに、不安がない訳ではない。
しかし、この状況では他に打開策が無い様に見える。
今、ワタシが出来る最善の策は、クロードを伴侶に選ぶ事。

「ワタクシの、伴侶は…」
「お、お待ちください!!」
「?」
「何事?!」

先程、クロードが入ってきた扉の外より、何か言い争う声が聞こえてきた。
ワタシへと注がれていた視線が、一気に扉のほうへと流れていく。

「失礼致します!!」

威勢の良い声とともに、一気に扉が開かれ聞きなれた声が響き渡った。

「アッシュ?」

思わず出た声は、驚いた様子の長老方にも、不愉快そうな表情のクロードにも届かなかった。

「至急、皆々様のお耳にお入れした来事がございまして、失礼を承知で入室させていただきました」

淀みなく、物怖じしていない、落ち着き払った声。
スッキリとした立ち姿は、若々しさがあふれ出んばかりで、その人となりが見て取れる様でもあった。

「ご報告の、許可をいただいても宜しいでしょうか…女王陛下」
「…許可する」

真っ直ぐに、大丈夫だと言うかのごとく見つめるその瞳に後押しされ、鷹揚に頷いてみせる。

「ご報告申し上げます!数日前に、ジョーカ国にタルロット国が宣戦布告をしたとの情報あり!」
「タルロットだと!!」
「そんな、馬鹿な!!!」
「ありえん!!!」

タルロット…ジョーカ国とここクーンハート国と接する国で、ジョーカ国とも引けをとらない程の大国…
確か、ジョーカ国との和平条約を結んでいたはずなのだが…

「現在進軍中との情報もあります!」

この知らせに、室内は浮き足だった。
長老方は慌てふためき、様々な支持が飛び交いだす。
真実なのだろうか?
ちらりと見たアッシュの顔には、小さな微笑さえも見えた。
その笑顔に、後押しされる。
後は、ワタシの仕事だ。

「落ち着きなさい!!」

オタオタと慌てふためいていた長老方が、はっとした様子でワタシを見た。

「まずは、その宣戦布告が真実かどうか確認しなければなりません。それと共に、タルロットの軍の進行具合も確認を。急ぎ、早馬で国境の大臣に連絡を」
「はっ!!」
「それと3軍を残し、国境警備の準備を行ないなさい」
「畏まりまして!」

次々と指示を出し、最後の一幕へと準備をする。

「それと、現在逗留中のジョーカ国の使者殿の事だが…」
「失礼いたします」

ここへ来て、アッシュとは別に、新たな小間使いが室内へと遠慮がちに入ってきた。

「何用か?」
「ジョーカ国の使者様が、急ぎのご用件があるとかで…急ぎ、お暇を願いたいと…」

どうやら、この話は使者にも伝わったようだった。

「許可すると、お伝えなさい。それと、今後の平穏を心よりお祈り申し上げるとお伝えなさい」

深々と礼をして去っていく小間使いを見送り、息を吐く。

「ひとまず、ワタクシの婚約の件については、先送りでも宜しいでしょう。皆、急ぎ準備を!」
「「「「「はっ!!!!!」」」」」

往年の姿を思い浮かばせるように、キリリとした返事と礼をとる長老方。
視界の隅には、なんともいえない表情のクロードが居た様だったが、すぐに深々と下げられた為確認する事は出来なかった。




< 6 >


結果として、タルロット国とジョーカ国との間に戦争が起こる事はなかった。
宣戦布告は実際にあったものの、和平交渉により丸く収まった様子だった。
現在、我がクイーンハート国は穏やかなものであり、他国との表立ったトラブルも見られる事はない。
クロードは突然、家督を親族に譲り渡し、己の領地へと戻っていった。
元々、政治などの中心的な人物であったが為、一時的な混乱は見られたものの、直ぐに落ち着きを取り戻して言った。



「女王陛下」

あの、庭園にある迷路花壇の傍で、思わぬ人物から声をかけられた。

「…アッシュ」
「今は、一人?」

制服姿でその場に片膝を就くと、頭を垂れて礼をとる。
人目を気にしている事が分かっていても、顔が見えないのは寂しい。

「今のところは…この中に入って話しましょう」

さり気なく、迷路の中へと足を進めると、少ししてアッシュがやって来た。

「こんなところで、何をしていたんだい?」
「ここ数ヶ月の事を思い出してて…」

あの婚約問題から、まだ半年も経ってはいないのだ。

「…もしかして、ディアモンド殿の事でも考えていた?」

そうだ…確かに、考えていた。
何故、クロードはいきなり隠居などしてしまったのだろうか?

「…全く、君は昔から世間知らずだよね」
「昔?」
「そう、昔から」

そう言って笑うアッシュの笑顔に、幼い日の記憶がフラッシュバックする。

『君って、“せけんしらず”だね!!』

普段は気が弱いくせに、妙に上からな言い方が可愛かった小さな少年。

「ディアモンド殿は、ジョーカ国と通じていたんだよ」

何らかのコネや財力を駆使して、ジョーカ国と秘密裏に協定を結び、この国を己がもんとせんが為に今回の婚姻を策略したのだ。
更に、長老方の何人かを己の手ごまとして扱い、会議を自分の意のままに操作していたのだと言う。

「本当に、君は俺が居ないとダメだよね。リオン」
「………?」
「そうそう、後でおじさん達に、手紙を書いてあげて?」

君の養父母であるクロノア男爵様に協力をしていただいたんだ。

「お父様方に?」
「そうだよ。…あれ?もしかしてクロノア男爵様方が、タルロットの王族出身者だったって知らなかったの?」

なんて事だ。
アッシュはあの会議の数日間の間に、ワタシの養父であるクロノア男爵に連絡をし、出身国であるタルロット国の軍を動かすように依頼したと言うのだろうか…
恐ろしいほどの行動力と、その力…
いいや、今はそんな事よりも…

「そもそも、何でアッシュがワタシの養父母の家を知っているの?」

そう。何でアッシュは他の誰もが知りえる事が出来ないであろう事を、知っているのか…

「…ねぇ、まだ思い出さないの?」
「…アッシュ?」

何の事だろう?
真剣に見つめてくるその美しい青い瞳に、胸を揺さぶられる。

「ちゃんと、約束したはずだよ『必ず、会いに行くから』って」

『必ず、会いに行くから!!』

それは、幼い日に交わした小さな約束。
しかし、決して叶わぬ事は無いのだと諦めていた言の葉。

「…チビアスペード…!!」
「漸く、思い出したんだね」

そうだ。幼いあの日々を一緒に過ごした大切な幼友達。
お隣の大家族の小さな小さな友人。
小さくて、可愛くて、真っ直ぐで、気弱だけど優しい。

「本当に君は…」
「アスペード!アスペード!!」

幼い少年の顔と、アッシュの顔が重なった。
思いっきりアッシュを抱きしめながら、何度もその名を呼ぶ。
おそらく、あれが初恋だったのだろう。城へ来た時から、封じ込めていた想いが泉の様に湧き出してくる。

「ねぇ、リオン。昔約束したよね?もう一度会ったら、きちんと守ってくれるって」
「?」
「『今度会ったら、必ず俺だけのモノになってね』」
「!!!」
「約束だよ、女王様」

衝撃的なその言葉に顔を上げると、にっこりと美しい程の笑顔で口付けをされた。



ひどく甘い口づけの向こうには、どこまででも晴れ渡る美しい空が広がっていた。




【 END 】




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