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華想

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< 1 >



現代より幾年月も遡った世にも、様々な人々が生活をし、その生を全うしていた。
後の世で世界一の人口を占める国となる元となる、前段階。
小さな国々が、小さな部族が様々な理由により大小の衝突を繰り返していた。

それは勿論、この小さくも穏やかな国でも同じ事だった。
王を頂点とし、大小の隣国や周辺部族との小競り合いはあるものの、人々は堅実的に生活をし、穏やかな人生を歩んでいた。

この国の王家には数名の奥が居り、それぞれに数多の皇子や姫が存在していた。
この後の国王となるべく人物は既に決まっており、他の皇子や姫は皆表面上は穏やかな様子であった。
現在の王家で有名な人物は、三人。
一人は勿論王であり、もう一人はその跡継ぎである第一皇子。
そして、もう一人は物語の登場人物のような、第二皇子であった。

その第二皇子である剡龍(えんりゅう)は、この日一人ふらりと市街地を歩いていた。
第二…とはいえ、皇子が一人で出歩くのは良いとは言えない。
それでも、剡龍は共の者を付けずに一人ゆっくりと歩いていた。
光輝く美しい茶色の髪をたなびかせ、整った顔(かんばせ)にしっかりとした体躯で颯爽と歩く姿は人目を引いた。
男女問わず、道行く誰もが振り返る。
しかしながら、当の本人は気にも留めぬ様子であり、何食わぬ顔で過ごしていた。
その耳には実しやかに囁かれる良き言葉も、悪き言葉も入らぬ様子で。


「これは、剡龍皇子様!!」
「…張甘(ちょうかん)殿?」

剡龍が呼ばれた方へと顔を向けると、そこには見知った顔があった。
丸々とした顔は脂ぎっており、それに見合った肉体が支えている。
年齢は己よりも上であるものの、権力者に媚びへつらう姿に常々嫌悪感を覚えている人物である。
自分の兄の取り巻きの一人である人物に、まさか城外…しかも、徒で居る時に声をかけられるとは思ってもみなかった剡龍はいぶかしげな表情をした。

「この様な場所で、皇子様にお会いするとは…」

にこにこと愛想笑いを貼り付けて、今にも蠅の様に手を揉みだしそうな様子の張甘から視線を外す。
周囲に誰も居ない事を確認するように、視線をさまよわせている張甘には気が付かれないであろう。
この様な人間は、嫌いなのだ。

妾腹の子。
異人の子。
卑しい女の子。

そんな蔑みの言の葉を腹の中に隠し持ち、権力という威光に媚びへつらう。
剡龍は、幼き頃よりその様な人間を多く見てきた。
如何様な表情であれ、言葉であれ、どれも似たようなものだった。
第二皇子という立場を疎ましく思ったことも、一度や二度では済まないだろう。
深い溜息を吐き出したくなるような剡龍の思いなど露とも知らぬ張甘は、己の都合の良い言葉を次々と勝手に吐いていた。

「と、言うわけでして、私めはこの様な場所に居た次第で…して、皇子様はなにか御用時でもおありでしたかな?」
「あぁ…私は少し用があってね」
「ご用件ですとな?」

明らかに、目の色を変えて甘張が剡龍の言葉を繰り返した。
あぁ、面倒な事になりそうだ。そう思いながらも表情にはおくびにもださず、剡龍は美しい笑顔を甘張へと向けた。

「御自ら宮を出られ、あまつさえ徒で…しかも、随従する者を一人も付けぬ上での外歩きとは…陛下もご心配なされるでありましょうぞ」
「王は私には寛容だからね。それに、私一人がいないところで特に問題も無いだろう」

宮では、兄上が立派にお役目を果たしているから。と、微笑みながら、嫌味たらしい目を向けてくる甘張の次の言葉を制した。
甘張の物言いたげな表情など無視をして、では…と振り返りもせずにその場を去った。

「…偶人皇子が」

聞こえるか聞こえないか…小さな声で囁かれた言葉は、幸か不幸か剡龍の耳にしっかりと届いた。
木偶戯(でくぎ)と呼ばれる木製の操り人形の劇は、貧富の差など関係なく女子供に好まれている。
まるでその木偶戯で使用される人形の様に美しい母親譲りの美貌から、剡龍は偶人(ぐうじん)…人形皇子と揶揄されていた。
その裏には、卑しい身分であった母親を蔑む意味合いが含まれてることも、勿論剡龍はわかっていた。
しかしながら、そんな人々の好奇と悪意の視線と言葉に慣れてしまった今では、何も感じる事は無かった。
淡々と、変わりなく…それが今の剡龍に出来る事なのだから。





< 2 >


徒で城を出たのは、本当にただの気まぐれであった。
普段ならば、絶対にしないであろう事を、何故かこの日に限ってしてみたくなったのである。

剡龍は、その出自から愚弄される事が多かったが、その能力の高さは第一皇子を遥かに超越していた。
そのためか、他の兄弟姉妹からも妬まれることも多く、ただひたすらに誰よりも王族らしくあり、誰よりも王家を毛嫌いしていた。

王家に生まれた身である剡龍には、自由など程遠い存在であるような気がしてならなかった。
そんな折、ふと警備の目が緩んだのだ。
こんな好機はない…そう思った次の瞬間には、剡龍は宮からこっそりと抜け出していた。

己の足で見て回る市井の暮らしは、どんな教師よりも雄弁に剡龍の心を揺さぶっていた。

様々な人の声や、姿や、表情…様々な品物の数々…良いものも、悪いものも混ざり合った臭い…
全てが剡龍の心を掴んで離す事が無かった。


甘張と別れてしばらくすると、剡龍は目的の場所へと近づいていた。
特に用事があった訳ではなかったのだが、剡龍が唯一来る事が出来るであろう場所は、そこしかなかったのだ。


剡龍が目的の場所へと近づいてゆくと、何やら騒がしい。
不信に思い近づくと、中から家人のものらしき声が響いていた。

「おい!待ちやがれ!!」
「きゃぁああ!!」
「そっちへ行ったぞ!!」

物々しい雰囲気と、人が走り回る気配。
何事かと開け放たれた門より中へ入ろうとすると、数名の青年が中から飛び出してきた。
危うくぶつかりそうなところを避けると、とりわけ体格の良い人目を引く人物と目が合った。
瞬きをする程の短い時間。
黒い狼を思わせるような髪と、その意志の強そうな瞳にざわりと何かがざわめいた。
背筋を振るわせる、不思議な感覚。
その男も剡龍をその瞳に捕らえた瞬間、はっきりと色を変えた。
互いの視線が絡み合い、強烈に意識する。

「そいつらを、捕まえてくれ!!」

次の瞬間聞こえた声に、はっとして一番最後を走っていた小男を捕まえる。
仲間が捕まったと知ってかしらずか、他の者達はあっという間に視界のかなたへと走り去っていってしまった。
ギャーギャーと小男が叫んで何か言っているが、剡龍は全て無視して、そのままずるずると引きずりながら門の中へと歩を進めた。

「いやぁ、助かった。どなたか知りませんが、ありがとうございます」
「いや、他の者は逃がしてしまった…」
「まったく…お嬢様を盗み見ようなんぞ、なんと罰当たりな輩か…」

この家の下男であろう老人が、にこにこと穏やかな笑顔でお礼を言うのに微笑むと、手早く小男を綱で縛り引き渡した。

「ところで、貴方様は?」
「あぁ…申し送れた。私は剡龍。この家のご主人に会いたくて参ったのだが…」
「え、剡龍様?!!」

にこにこと縛った小男を挟んで老人と話していると、老人の後ろからほっそりとした男が驚いた様子で叫んだ。

「これは、周権(しゅうけん)殿。いきなりの訪問で申し訳ない」
「剡龍様、恩自らお越しいただくなど、恐れ多い!!まさか、この男…」
「あぁ、先程私が捕まえた」
「も、も、申し訳ございません!!」

冷や汗をたらし、這い蹲らんかぎりに頭を下げる家長に、徐々に何かを理解し始める老人。
そして未だに状況が理解が出来ず、ただきょとんと不思議そうに頭上の面々の顔をくるくると見回す小男。
徐々にこの場に居る事が居たたまれなくなり、剡龍は片手を挙げて周権の言葉を遮った。

「周権殿、奥へ入れていただいても?」
「こ、これは失礼いたしました!!どうぞ、こちらへ!!」

何度も頭を下げて冷や汗を拭く周権に、再び苦笑を零して剡龍は館の奥へと足を運んだ。





< 3 >




「…騒ぎは、収まりましたの?」
「えぇ、ようやく」

珱彩(えいさい)は近くに居た侍女、桃香(とうこう)の言葉に、ほっと息を吐き出した。
先程まで、この家を騒がしていた輩が捕まったと聞いたからだ。
元々の発端が己にあるとなれば、更に気も重くなる。
町でも有名なほどの美人である珱彩を一目見ようと、無法者や好奇心旺盛な若者やらがひっきりなしにやって来るのだからたまったものではない。
元より気性が穏やかで優しい珱彩にとっては、己自身が災厄の種であること自体が非常に心苦しいのだ。

「お嬢様目当てで不法侵入なんて…男とは、本当におろかな生き物でございますね」
「まぁ、そんな事を言っては駄目よ」
「いいんですよ。お嬢様を怖がらせるような、馬鹿な男なんて」
「まぁまぁ…」

クスクスと笑いを零すその姿は花の様で、同性である筈の桃香も見とれてしまうほどだった。
幼少のみぎりより共に過ごし、まるで姉妹の様に過ごしてきた筈ではあるものの、桃香は未だに珱彩のこの様な姿に何度と無く見とれてしまうのだ。
しかしながら、ふとその顔の奥にとある人物を思い出して桃香は手のひらを叩いて声を上げた。

「あ!それでも、お嬢様の旦那様になられるお方は別格ですわね!」
「旦那様…剡龍様のこと?」
「勿論っ!!」

己のことの様に誇らしげな顔をしだす桃香とは裏腹に、珱彩は少し表情を曇らせた。
剡龍とは、己の許婚である男性の名前だ。
王族の第二皇子であり、近々結婚する予定でもある。
しかしながら、この時代の名家のしきたり通り、いまだ珱彩は将来の夫である剡龍の姿すら見た事が無かった。
王族の人間である以上、何ら問題も無く万事上手くいくはず…
そう家族の者達が言う度に、珱彩は言いようのない不安をその胸に抱き続けていた。

「そうそう!先程の不躾な輩も、なんと剡龍様が捕まえて下さったのですって!!」
「え?剡龍様が?」

先程までの騒動に、関わるはずのない人物の名前を聞き、珱彩は驚いて顔を上げた。

「えぇ。何でも、今日たまたまいらっしゃって来たとかで…先程、他の者達が騒いでおりましたの」
「……剡龍様が」

今まで胸に溜まっていた何かが、ザワザワとうごめくのを感じて、珱彩は胸元をぎゅっと握った。
式の日まで見る事が叶わないと思っていた相手が、直ぐ近くに居る…
そう考えるだけで落ち着かず、もどかしい思いに駆られる。
そんな様子を静かに見守っていた桃香は、ふっと小さく微笑んで珱彩の手をそっと握った。

「お嬢様…少しだけ、見に行ってみませんか?」
「…え?」
「未来の、旦那様を」
「え?あの…えっと…」
「大丈夫ですわ。遠くからすこおし、拝見するだけですもの」

式の時に間違えたら、失礼ですものね。と、茶目っ気たっぷりに笑う桃香につられて、珱彩もふわっと微笑んだ。





< 4 >



奥へと通されたという剡龍を見に、珱彩と桃香が廊下を歩いていると、様々な菓子を載せた盆や皿が次々と二人の傍を通り抜けていった。

「まぁ…剡龍様お一人で、あんなにものお菓子を召し上がりになられるのかしら?」
「あー…多分、旦那様が色々と気を使いすぎた結果でしょうね」

ビックリした様子で見つめる珱彩の言葉に、桃香が困ったように返事をしながら菓子の山を見送る。
王家の人間が直接、徒で共の者も付けづに家臣の家に唐突に現れるなど、前代未聞。
てんやわんやの大事なのだ。

「旦那様のことはさて置いてですね。珱彩様、剡龍様のお姿はそれこそ一瞬しか見られないでしょうから、よぉく見ていましょう!」
「え、えぇ…そうね…」
何度も開け閉めされる部屋の出入り口…更にその奥に居る剡龍を見るのは、難しい問題である。
室内に入るわけにも行かず、二人はとりあえず部屋の出入り口が見える角に隠れ、剡龍が出てくることを待つ事にした。

「巷では、様々な噂が流れておりますものね…どんな方なんでしょうか…」
「そうね…」
「木偶儀人形の様に、美しいんだとか…」
「そうね…」
「立派な体躯をされているのだとか…」
「そうね…」
「……熊みたいな髭面だとか」
「そうね…」
「…珱彩様、私の話し聞いてませんでしょう?」
「そう…そ、そんな事はありません!!」

慌てた様子の珱彩に、クスクスと笑って桃香はすみません。と謝った。

「珱彩ってば、あんまりにも真剣なもんだから」
「もぅ…桃香の、意地悪」
「あ、ほら、珱彩様!!」
「え?」

慌てたように指差す桃香につられて、珱彩がその先へと視線を向ける。
ゆっくりと開かれた扉の中から、父親の周権に伴われて長身の若い男が出てくる所だった。
印象深い髪の色と、その整った面立ち。武人のような肉体ではないが、細いながらも引き締まった体躯。

「…本当に、人形の様」

ポツリと呟かれた桃香の言葉に、何故だか珱彩は素直に頷く事が出来なかった。
見目は素晴らしいのに、何かが…
そう思いながらも、その何かが分からず言葉に詰まる。

「桃香…参りましょう」
「え?珱彩様?!」

えもいわれぬその想いから逃げるように、珱彩はそそくさとその場を後にした。



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